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日々雑考 死に方について
2012年07月22日
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 きっと誰もが一度は考えるように、たまに、自分はどんなふうにしてこの世から去っていくのかな?と漠然と考えることがあります。先進国に居ながら、何らかの要因で徐々弱って死ぬ場合、やっぱり最後は終末医療のお世話になるのかな。医療技術の発達は死の概念を変えたのでちかごろは死ぬのも一筋縄ではいかないし、また終末期にある人が本人のしたいように、自由に死に様をアレンジできる状態にある可能性は限りなくゼロに近いので、死の床につくその前に準備をすることが大切だと思っています。(アメリカではおとといも銃乱射事件があったばかりなので特にこう思います。)

 こないだ家族とどんなふうに死にたいか?などとぺちゃくちゃ喋っていました。同居人「ヴ」は、かなり理想的な死の例として自分の昔の彼女のおとうさんの例をとりあげていた。何度かに亘る心臓発作の末、病院でお医者さんに次の発作が最後ですよと言われた親父さんは、全ての治療を中止して荷物をまとめ、家に帰ったらしい。最低限の薬や痛み止めの麻薬をもらいながら家で好きなもんをたべ、好きなウイスキーを飲み、家族と色々な所へ行って遊びまくり、そうこうするうちに1年が過ぎてついに最後の時がやってきた。お父さんはノリノリでジェットスキーに乗りながら亡くなったという。「ヴ」にとってはこのような生き方(死に方)がイケているらしい。うちの母は、死んだらダイアモンドにしてもらおっかしら~などと言っていた。父は突然の病気でぽっくり逝きたい神頼みタイプだと分かった。義りのお父さんは人生なんでも自分で決めてきたので、自死が最適と話していた。そして「わし」は、どっちかというと往生際が悪いほうなので、死んだら自分の脳みそを冷凍してとっておいてもらいたいな~とかSFなことを思っています。そうして冷凍休眠でこの世からしばし「欠席」しているあいだに文明が進んで、人類が肉体を捨て去るころ、「やーどうも」とか言いながら金属とシリコンで出来た小さなチップとして復活してくるというのが理想の展開ですね。このように、死ぬときの事について話していると皆の意外な考えとか、性格、生きることについての見方などが分かるから結構おもしろい。

 死はいつやってくるか分からない。死は苦しかったり、すごく痛いかもしれない、だから基本的に死ぬことは恐い。けれども自分にとって、死ぬ事について客観的に誰かと話している時、そうする事で一時的にでも精神が死を克服出来ているような気持になる。ちょっとなんでもないことみたいに思えてくる。そして少なくとも死ぬにあたって色々な選択肢があり、それをある程度選ぶことができるというのは、人間としてとてもラッキーで、喜ばしい事なのではないかと感じる。
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≫死ぬ事について客観的に誰かと話している時、
≫そうする事で一時的にでも精神が死を克服出来ているような気持になる。
≫ちょっとなんでもないことみたいに思えてくる。
↑これ、すごくよく解ります。
実際今回の「わし」の日記を読んでいるうちこちらもそういう感覚を体験していたよ。
例えば各種SNSのアカウントには、その人の発言パターンを記憶して本人の死後も生き続けさせるサービスなんてのもあるらしいね。そんな事したい人の気持ちは全くワケワカメだけど、持ち主を亡くしたアカウントとか会員IDとかをこの世に遺して逝くのは何だかすごく可哀想な感じが常々していて、そんな事柄から以前よりも死に方についてあれこれ考えるようになったとは思います。
「人間、生きてきたようにしか死ねない」って親が言ってました。その通りだと思う。素敵な死に方をしたければ素敵に生きないとね。
2012.07.27 19:18 | URL | かおる(毎度長々スミマセン)(簡潔に書けない人) | 編集


 かおるどん、暑中お見舞いウホホ
 日本って今まだ大暑だっけ?もうわからんわ~最近、だからついでに残暑お見舞いも申し上げます。

 かおるどんの親が言ってることはその通りだと思う。不可抗的な事で死ぬ以外は、死って今までの人生の「まとめ」みたいな側面があると思う。我々の人生は基本、この「まとめ」がいきなりやってきて、勝手に総括されること前提でみてった方がいいということでもあるね(笑)。

>本人の死後も生き続けるサービス
 そんなんあるのか!ワケワカメだが、仲の良い友達とかだったらしばらく("友達の死"が日常から消えるまでの間)心の支え位にはなんのかも知れない。自分は死んだ友達の携帯サイトをたまに手入れしてもう5年になるんだがやめ時が分からないもん、しょぼいウェブでも個人の遺物には変わりないからね・・・。本文に書いたように、モダンな社会では死ぬとゆうことの定義もきっとどんどん変わっているから、ネット上での死もこれからもっと考えていかれるんだろね(もしくはネット上は不死に近い世界なのかも。)

 ところで簡潔に書こうなんて気にしないでたもう!なんか書いてくれることが嬉しいから。
2012.08.03 00:56 | URL | 「わし」 | 編集

はじめまして。というかコメントはじめて書かせていただきます。いつもnaoさんのブログのほうでコメントいただきありがとうございます。

死について、私はどのように克服しているかというと、鳩によってです。助けられない鳩が目の前で死んでいく姿を見ていると死というのはやはり生の一部だということをとてもよく感じます。実は、私はもうあまり死に対して恐れみたいなものはなくなりました。死ぬのときは鳩のために死にたいと思っていて、心身ともに鳩に捧げたく思ってます。それが私の死への克服の手段です。こういう意味でも、鳩は私を日々救ってくれていると感謝しています。鳩って、本当に優しく逞しい生き物だと。最後の一息まで戦って倒れます。何とも美しい生です。
2012.08.27 09:46 | URL | kei | 編集


 keiさん!ブログよく拝読してます。毎日のように鳩助けをされていてほんとに偉いと思います。人間として、自分以外の何かのために愛情とかエネルギーとか、命の力を使う事が出来る人は幸せだと思います。その「何か」は人を強くしてくれますよね。そういう風に思える対象を見つけられたkeiさんはとても幸運だと思います。

 鳩って、優しさもさることながら、もしインコとかコマドリとか他の野鳥だったらストレスだけで死んでしまうだろうよな酷い目にあっても、なんとか立ち直ってがんばって生きていこうとしますよね。自分はそこから純粋な「生きること」へのエネルギーをとっても感じます。彼らなぜかわからないけどすごく一生懸命に生きていますね。

 あっそうだ、関係ないですが・・・keiさんの書いたものを読んでいるとなんでか、エミリー・ディキンソンの詩を思い出すことがあります。ディキンソン、お嫌いだったらすみません。
2012.08.30 07:32 | URL | 「わし」 | 編集

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