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日々雑事 エコ考
2013年01月26日
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 スーパーマーケットへ行った時、大好きな日本のお菓子「シルベーヌ」が売られているのを見つけてしまった。でもこの箱のやつ、たしか中身6個しか入っていないんだよな。小さいチョコケーキ6個に6ドル以上するとは、ブルボンの殿様商売振りには呆れる。などと呟きつつ、いろいろ迷った末結局決められず、なんか悔しいので写真に撮って家でこうして眺めています(あほ)。ここ2年くらい「究極のエコ(笑)」と称して食べ物自体をあまり買わないようにしているので、こんなささいな物を買うのにも、ときどき悩んでしまう。自分でもすごくあほらしくて滑稽なんだけど、地球の未来を気にしだすと、このシルベーヌみたいに飛行機で沢山のエネルギーを使って運んできた嗜好品なんて、自分にはもったいないなって感じでなんとなく遠慮してしまうのだ。消費財の中でも特に目の前であっという間に消えていく、煙草やお菓子のようなものに対して強くこう感じます。

 こんなふうに書くといかにもエコロジカルな人風な感じですが、その一方で、「わし」は世の中の諸々の「エコである」とされるものごとに対しては、けっこう懐疑的です。例えば日本でも「地産地消」「Eating local」といって地元でとれた食べ物を積極的に食べようという動きがあるけれども、仮に産地が遠かったとしても、大きな船や車や飛行機で一括して物資を運んでくるほうが、地域を小さなトラックが縦横無尽に走り回るよりも消費されるエネルギーの全体量としては小さい、という調査報告もある。動物性食品や動物性製品(毛皮、皮、つのなど)を避けることがゆくゆくはエコロジーにつながる、だから食べない・着ない・使わない、というのにもほんとにそうかなあ?と思っています。人間の消費活動とエコロジーの関係ってそんなに単純ではないと思うからです。

 「エコ」のためにベジタリアン食をする事を例にとってみると、乳製品や動物性食品を避けるのは個人の自由だけど、どんな物を食べようとヒトが本来一日に必要とするカロリーと栄養素は変わらないため、肉や乳製品を食べないしわ寄せは必ず別の食物やサプリメントで補わなければならなくなると思う。そうするとここで基本的な食品、既に製造ルートが確立された製品の品目にない食料を買いに行くためのエネルギー消費、それらの包装に使われる資源、痛みやすい野菜類を輸送・店頭で保存するのためのエネルギー消費、ビーガン食材やサプリメントを加工するために余分に経る工程のためのエネルギー消費が起こります。アメリカではスーパーマーケットで売られる野菜や果物は、陳列時に見栄えを良くするために平積みされる傾向があり、そのため下の方にある食材はすぐ傷み廃棄されます。一説によると野菜やくだもののおよそ40%はこうして流通や店頭でストックされている間に失われるそう(流通過程でロスする食材といえば、沢山の食べ物を輸入に頼っているいる日本もおそらく負けてないはず)。こういった諸々のことを包括的に考慮すると、ビーガンとして生きていくことが果たして本当に「エコである」と言い切れるか、疑問です。

 毛皮や皮製品はだいじに手入れをしながら使えば20年以上はたやすくもつけど、これらを「エコではないから」「個人的倫理感に反するから」という理由で排斥するむきもある。これも同様に疑問です。これら動物の部品を使わない事は一見環境と生き物に優しく見えるけど、代換の材料として現在一般的な合成繊維類は製造に石油を多く必要とする上、出来上がった製品も寿命が比較的短いためにいわゆる使い捨ての状態になりやすい。そして、科学的に合成された材料なので、捨てた後も簡単に土に還らない。その結果中国やベトナムやバングラディシュといった、先進国に住む皆にとって「どこか遠くの国」の、森や野山がどんどん切り開かれて、平らにされ、綿花畑や化繊工場がどんどん建ち、廃棄物の処理のために温室効果ガスがどんどん生み出されるという結果を産んでいる。

 マクロ的な目でみると、食べ物や着るもの・・・オーガニック、フェアトレード製品などなどへの画一的な固執や、特定の生き物への消費活動に反対することなどには何かしら盲点があるよなというのが、最近思っている事です。現代社会のなかで「エコロジカル」に生きていく事はよりお金がかかる、イコール、ハイメンテナンスなライフスタイルや個人としての教養を示すことにもつながり、この風潮自体どこかファッション的でもあると思う。こうした生活習慣について徹底的に考え遂行できる経済力や意思の強さを兼ね備えた人ももちろん居ると思うけれども、大体の人は「食材や衣服にお金がかかる分車は中古の安いのを買いました」みたいな感じで容易にエコロジーの効率を落とすことになるのではないか(古い車はよりガソリンを消費し、より温室効果ガスを排出する)。究極的には「エコ」を気にしすぎるあまり、個人の文化的活動と、そこから生まれる未来へのポジティブな変化が抑制される可能性を、自分は最も恐れます。「エコ」という概念それ自体文化的アクティビティのひとつとして生まれてきたのだという事を、よく覚えておかなくてはいけないなあと思います。



 おまけ

photo (1)

 反対側の棚でみつけた、コアラのマーチのマネと思われるおかし「ゴールデンベアー」。イチゴ味とメロン味がありました。会社の名前が「EGO」っていうのも、売れれば商品コピーでも何でもいいという風な姿勢が現れてて、いいかんじです。それにしても・・・

photo (2)

 なんかセンスが違うんだよなあ~。
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こんばんは。早速興味深く読ませていただきました。
おバカなおいらがエコを強烈にやってみた結果、
・もったいないから食べて太る
・古くても捨てられず無理やり食べて腹壊す
その結果、いらん食べものを買わなくなった、という結果になりました。

昔バイクに乗っていました。ライダースーツは牛革で出来ています。これが一番優れているのです。
高いので、一着買えば、直してでも使います。体型が変わらないように極力がんばりますが、ダメならやっぱり直して着ます。ファッションで二着も三着も持ったりしません。

毛皮・・・寒い国の人にとっては必需品だと思います。こんな人々がいるのに、不買運動は極端な感じがする。
この不買運動は、それをそこまで必要としない人の間で行われるものではないかと。

エコの考えは、決して否定しないけど、最近よく思いますが、何事も「中庸であるべき」だと思いますね。
エスカレートしてヒステリックにならないようにって思います。

以前、テレビで面白いのをやっていました。日本人イヌイットの話です。

そこで捕れる海鳥を、郷土料理のキビヤックを作るためだけに捕っているのに、捕ってもいい量を決められてしまって、その海鳥が返って繁殖しすぎて生態系を崩し、結果的に海鳥の数が減少する、それ以外の動物についてもそうだと言及されており、話は関係なさそうですが、その人々に言わせれば、極端だといいたいんだろうと思います。

あ、めちゃ長になってしまった。とても興味深い内容の日記でしたので。。。長々すいません。

また是非来させていただきます。

ではおやすみなさい。

2013.01.30 00:20 | URL | ぢゃっく | 編集

 
 ・もったいないから食べて太る
 ・古くても捨てられず無理やり食べて腹壊す

 この二つ、自分も過去に全く同じ道を通りました!ここのとこ2年くらいは一日一食しか食べてないことで落ち着いています(所々おやつに食パンとか適当に食べておぎなう)。それでも特にエコに貢献できてる気持ちはしないですねー、なんだかただの無精者になっただけみたいな気もします。「中庸」って、優柔不断に見えて、実は最も効率の良い立ち居地でもあるのかなって最近は思います。昔は中庸っていうと何か怠慢の結果のような気がして落ちつかなかったですが、今はそう思います。

 前々からぢゃっくさんのブログでバイクに乗っている写真を拝見して格好いいなーと思っていたのですが、着続けたスーツもきっと、いい味になっているんだろなと想像しています。ライダーの人達はみんな革が一番とおっしゃいますよね。ちびちゃんたちの事がひと段落したら、ライダー復帰でしょうか?その時は応援してます。

 毛皮はやっぱり反対する人の「動物がかわいそう」っていう気持ちもすごく分かるので難しいですね。でも、仮に、仮に、おしゃれ着の毛皮であっても、大事に手入れしながら長く着ている人もいますよね。自分自身も、母親からもらった30年くらい前の毛皮のジャケットがまだ全然着られる状態で家にあるので、それと比較して3、4年くらいで大分くたびれてしまって、取り替えなきゃいけない化繊や混合綿の服を着ることが世の中で圧倒的に「良いこと」とされているのが、なんか不思議だったのです。

 キビヤックの話しとても興味深かったです。日本人のイヌイットなんて居るんですか?憧れます。めちゃ長の感想すごく楽しく拝見しました、ありがとうございます。こういう話題はなかなか人とする機会がないですが、私も興味あるんです。
2013.01.30 13:07 | URL | 「わし」 | 編集

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