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自然観察 誰が為に
2013年11月25日
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 もしある時突然野生の生き物が目の前に倒れていたとして、それを助けるか、助けないかというのは難しい問題だ。人間は感情を持ち、力なく横たわる小さな(美しい)動物を見た時、よく「助けを必要としている」という勝手な感想をいだく。その感情がおもむくまま、今にも消え去ってしまいそうな命を手のひらに包んでしまえば、無意識下にあたかも自分が「自然の庇護者」になったかのような錯覚に陥り、非日常的出来事に関して起こる異様な胸の高鳴りは、「使命感」と認知され、助けを求めて奔走する事は、我らヒトのみに許された尊い「献身」とみなされる。でも、本当にそうなんだろうか。

 もう身じろぎする力すら残されていない翼を静かに補ていし鳥に目隠しする時、どくどくと脈打つ血潮には、「使命感」だけでは片付けられない原始的歓喜が入り混じっているような気がする。本物の野生の猛禽とはいつも逆光に目を細めた中でしか、見つけられない存在だ。その存在を見よう見ようとしても許してさらけ出してくれなどはしない。ペット屋の軒先に繋がれ鶉の半身をついばむ鳥とは違うのだ。そんな求めても手の届かない美しい動物を、間近で満遍なく眺めてみたいという抑えがたい野蛮な欲望は、神様の気まぐれによって時おり叶えられる。不運にも(または、幸運にも)生から死へと移行する最中の鳥に出会うことによって。その命の所有権の、所在が曖昧な瞬間にいる生き物に出くわしたとき。

deathmask2.jpg

 目の前で失われていく命を、助けないのは難しい。

 水と僅かな糖分、電解質(たべられるようなら、獣肉や血)を与え暖かくして、それでも鳥がよみがえらない時、そんな時は自分に言い聞かす。空高く矢の様に飛び囀り好きなところへ行き好きな相手とヒナをそだてて・・・生きてきた鳥が、最後ダンボール箱の中でただ半日長く生きたからといって、そのことに意味などありやしないのだと。そして生き物を「森に還す」選択が現実のものとしてせまってくる。鳥を置いて立ち去った木立ちに夜、零度以下の霧がガラス粒のように降り注ぐ中、今夜は木々の作り出すシルエットが、命を吸い出す生きたポンプの様に見え、胸騒ぎがし、眠れなくなる。

※ 今回のエントリーの内容は地域の自然センターの方針をうけて、Virginia Wild Life Rescue LeagueThe Raptor Conservancy of Virginiaに連絡を行った上で書かれています。人間の活動が原因と思われる(何らかの中毒、ケガをしている等)の問題が疑われる鳥の場合、速やかに最寄りの保護施設に指示を仰でください。
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色々考える前に 手が出ちゃいますねぇ (^_^.)
本当はいけないこと よくないこと ためにならないこと でも
できることをやる ことに 意味があると信じて
まさに 自分の気分次第ですが
野生動物のケガや病気の多くが 人が原因であること
これ どうにかならないかなぁ
どうにかする方向にならないかなぁ

 

2013.11.27 13:11 | URL | ちび鳩 | 編集


 ちび鳩さん ありがとうございます

 そうなんです、私もアレコレ考える前に思わず拾っていました。

 今回考えさせられたのは こうして保護した鳥を最寄の保護センターに連れて行ったら、特に外傷もなく中毒でもない生き物は助けないでくれと言われた事です。それは淘汰されるべき個体なのだそうです。でも

 >できることをやる ことに 意味があると信じて

 ちび鳩さんのこの考え方もすごく良いと思いました。私もまた、このような機会があれば、その時・その時の状況を見ながら判断していきたいと思います。

 人間の活動のせいでケガをしたり死んでしまう動物が沢山居るのは悲しい事です。

 私の家のまわりは普通の市街地ですが、夜はこわいくらい真っ暗になります。眠ってる鳥を起こさないための取り組みが60年代から続いているんだそうです。外国でも、そして日本でも、地元発生的な活動は少しづつ・少しづつ増えていると思います。毎日こつこつ小さなことでも(落とした糸を拾うとかね ∂.<)、出来ることをやっていきましょう。
2013.11.27 14:21 | URL | 「わし」 | 編集

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