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日本の事 「君が代」
2011年04月03日
昨日の夜はロッテルダムの南にある大きなクラブに息抜きしに行こうと思ってたけれども、天気が生憎の雨だったので、同じレジデンスに住む画家のヨシさんと、近所に住んでる同じくアーティストのミカルと音楽を聴きながらビールを飲んだ。

おいらがふと思い出して昔のカザフスタンの国家(曲のメロディラインが好き、)を冗談半分でかけたとこから、国歌を聴きまくるナイトに発展した。やっぱ日本の国歌も聴かないとダメだという雰囲気になり「君が代」の出番となったが、聞いているうちに「君が代っていったいいつごろからあるものなんか」というテーマに行き当たった。そうだ、今まで小学校から当然のように歌っていた国歌だけど、自分はその歴史も歌詞の意味もはっきりと分かってないということに気がついた。
少し前、この歌と国旗に関することで問題になったことがあったと思うが、それも実際のこの歌の意味にまで考察するきっかけにはならなかった。




今日起きてからさっそくウィキぺディアのお世話になった。
まず思ったのが、現代の洋楽のような”音楽に合わせて歌う”というアイデアそのものが古来日本にはなかったんじゃないかということ
そもそも、和歌には(独特の詠み方というのはあるが)メロディがないということに気づいた。一方雅楽など昔からの音楽を思い出して見るとこちらには歌詞がないってことに気がついた。でもこのあたりは、日本の音楽史についてということで別の話題になるので割愛する。(後日追記:よく考えたら「独特の詠み方」というのは、=メロディにあわせてうたっていることになるのではないかと思った。また民謡のことを忘れていたがこちらはもっと顕著な旋律と歌がある。洋楽とは異なる歌なのは確かだけど全くうたってないって言うのは違うかな、と思った。)

もうひとつの発見は、「国歌」というアイデアそのものが西洋からの輸入品だということだ。ウィキペディアによると
国歌 (national anthem) は近代西洋において生まれ、日本が開国した幕末の時点において外交儀礼上欠かせないものとなっていた。
と書いてある。誰が実際に国歌のアイデアを日本人に伝えたかは諸説あるようだが、要するに日本において「君が代」がしっかりとしたメロディ、歌詞、明確な目的を持って歌われだしたのは明治時代に入ってからだということのようだ。
それは、1880年ごろということで、そこから数えるとその歴史は120年ほどしかないということになる。

「君が代」の歌詞はどこから来たかというと、10世紀に編纂された古今和歌集の中にある作者不明の短歌が、時間を経て磨かれて今の形になったということだ。意味についての解釈も諸説あるが一般的には、天皇もしくは神の世がいつまでも、いつまでも続きますようにといことのようだ。
そんなのよめば分かる!という人も多そうだが 私は古典の授業ではいつも赤点とっていたのでそのツケがまわったというか、ウィキさまさまです。とにかく日本についてまたひとつ知ることが出来た。

_ _ _ _

P.S
「君が代」にちょっと似ているという、10世紀~13、4世紀頃まで使われていたポーランドの国歌、Bogurodzica



たしかにこの威厳のあるゆっくりとしたメロディは似ているかも。でも非常にキリスト教的、というか聖歌である。
Bogurodzicaで検索していたら、映画のワンシーンのようなビデオで兵隊が戦う前にこれを歌っているのを見たけど、ひょっとしたら国歌は、戦のとき、神様に加護を乞うた聖歌みたいなのが始まりだったんじゃないかと思った


P.P.S
大衆曲 Подмосковные Вечера ←「モスクワの夜ふけ」とかかな?自信がない




これはサーシャが前にピアノで弾いてくれた曲にとてもよく似ている。もしかしたら同じ歌かも?年代的にもかぶってるはず。いいメロディーだなあ…詩心がないからなんと表現したらいいのかわかんないけど、単純かつ美しい
ちなみにミカルの地元ポーランドで、おじさんたちがバーで飲んで、明け方酔っ払ってくるとみんなこの歌を大合唱するらしい。普段、ロシア大嫌いな人たちだが、とても流暢なロシア語でうたうそうだ。歴史の因縁を感じる。


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