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日々雑事 生きてること
2012年04月11日
siberia-valley.jpg
北東シベリアののはら 大昔、「わし」のお母さん達はここに住んでいたらしい

 久々にうちのママ上に電話したらやたら電波が悪かったので聞くと、なぜか島根県の津和野の山奥にいるという。もう10年以上喋ってなかった自分の大おじさんがいるというので換わってもらった電話口で、昔と全く換わらないおじさんの喋りに耳を傾けた。なんでも、もう80代も後半に入ったので自分の人生を総括するための記録を作っているのだという、そのために必要な写真や文書など、自分のルーツや歴史にかかわる物品を、生家の物置きに押し入って見つけてまわっているのだという。かなりおもしろそうなプロジェクトだ。次日本に帰ったらかならず成果を見に行くと約束して電話を切った。
 
 そんなことがあったためか、今日は自分や自分の家族の来た道すじについて思いを馳せていたのですが、ちょうどそのタイミングで「わし」のDNA検査の結果が家に送られてきました。これはたまたま2ヶ月ほど前に自分がどのタイプの糖尿病の遺伝子を持ってるのか気になって私立のラボにサンプルを提出していたもので、第一に自分の遺伝子の組み合わせによって数種類の罹病しやすい病気の傾向が分かるほか、ミトコンドリアDNAの型から自分の祖先が地球上のどのようなルートをたどってきたかという、おおまかなあらすじを知ることが出来るという第二のメリットがある。我が家は祖父の近親にアジア人じゃない外国人がいるというまことしやかな言い伝えもあるし、自分の父は顔立ちとかはどっちかというとポリネシア系(笑)なので、そこのところがどうなっているのか調べる良い機会でもあった。で結果↓

photo (1)
ハプログループ A 500年前の分布図

 「わし」はシベリアの原住民の子孫だという事が分かった。

 上の図は交通手段の発達していなかった約500年前(=世界の人種が混ざり合いだす前)の、「わし」と同じ遺伝子の型を持つ人口の分布図。5万年以上に及ぶ大移動期間を経て、人々が最終的に落ち着いた場所を示しています。統計では現代の日本では人口のおよそ2.5~4%があてはまる比較的珍しいグループ。

was_20120413221112.png
6万年~500年前 ハプログループ N,A,D,経路図

 およそ6万年前に原始の人間はアフリカで生まれ、生活の場を今の中東とかアジア方面に向けて広げていたようなんですが、今の日本人の主流になってるグループと「わし」の直系の先祖がいたグループは、別々にアフリカを出たようです。このあと、日本人の主流グループ(図上の「D」)は分岐を繰り返しながらインド亜大陸、東南アジア方面などを経由して北上し、日本を含む東アジア方面に入ってきます。「わし先祖」がいたグループは中央アジアよりに移動していって、シベリア地域に達すると同時に東西に大きく分岐しました。このうち西に行った方はのちに北ヨーロッパ人になっています。「わし先祖」たちのグループはその後も北上を続け最終的に北東シベリアで現在のアジア的、モンゴロイド的な形質を獲得したらしい。アラスカのイヌイットやネイティブアメリカンが日本人とよく似ているのは、実際に祖先同士に交流があった可能性以外に、人種として形成された場所の環境が近かったことが一因なのかなと思いました。異なる動物や植物同士も生育する環境条件が似ると似た形質を得るので、人間もそうなのではないか。

 ともあれシベリアで仲良く暮らしていた「わし先祖」グループですが、約1万2千年前に転機……多分気候条件の変化とか、それにともなう動物の移動などが起きたようで、多くの人々が北米大陸へ渡りました。このころの旧大陸と北米大陸は陸続きだったそうで、人や動物の行き来があったことが化石などから分かっています。この北米に渡ったグループは、誰も競合相手がいなかった未開のアメリカ大陸を踏破して繁栄しましたが、それが上に書いたような、今日びのアラスカ原住民やネイティブアメリカンと言われている人々なんだそうです。シベリア側に残った人たちは動物を追って海沿いに南東の方へ移動していったり、そのままそこに留まったりしました。この南下したグループが「わし先祖」の型を持つ人として日本に入った最初の人々で、アイヌ人の直系の祖先と言われています。一方そのままシベリアに留まったグループは、驚愕の事実ですが、今でもそこに住んでます。シベリアのトゥバ人・ギリヤーク人・ニヴフ人・チュクチ人にこの型が良く見られるらしい。彼らはロシア連邦の中に小さな自治区を形成して暮らしています。

photo (2)
義理父の型の分布図

 脱線しますが、最初の経路図の所に書いた「その後北ヨーロッパ人になった」グループがどうなったかはうちの義理父母の血統分布図を見ると分かりやすい。彼らはシベリアで「わし」祖先のグループと別れた後海岸線に沿って、一部は南部に分岐しながら西へ西へと移動していったようです。この過程で金髪とか色の無い瞳とか、足長とかそういう形質を得ていったんだろうな。おもしろいのがこの型は日本の青森~北海道と中国地方などにわずかながら見られるんですね。どちらも古代から大陸と人間の行き来があった地域です。こういうのを突き詰めていくといわゆる「東北美人」とか、「九州はバタ臭い顔が多い」といったまことしやかな噂の裏付けが出来るかもしれない。

photo_20120414035616.png
義理母上の型の分布図

 上は義母の型の分布図、この家系は彼女の高祖父母の時代にフィンランドからロシアに移民してきたことが分かっていうるので、頷ける結果だ。分布に偏りが見られるので多分、歴史上特定の民族とか国とかグループで(あまり他とは交わらずに)暮らしてきたのではないかと思う。この型はごく僅かな北アフリカと欧州人に見られる比較的珍しい型で、およそ4万5000年前に現れたニュー人類です。

 この検査の結果をまじまじと見てひとつハッキリしたことは、人間は本当に生きてるだけでまるもうけなんだということ。人類は何万年もの時を経て人種・民族・文化などこれだけ多様化しましたが、これらは全て人間の中にあるDNAが、この地球上で「より生き残って繁栄するにはどうしたらいいか」と模索してきた跡なのではないだろうか。自分達は皆、何万年も前に獲物を追って崖から落っこちそうになったり、戦いの日々を過ごしながら、しかし生きるぞ!と強い意志を実行してきた人々の子孫だ。その遺伝子が現代まで生きながらえて、少なくとも日本や先進国などでは個体の死のリスクの低い生活形態(文明社会)を築くまでになっている。これは遺伝子目線で見るととてつもない大成功なのではないだろうか。

 これから人類は、メディアや移動手段の発達、世界的なグローバル志向によってシャッフルされ、新たに単一の種「人類」となる道をたどっているように思う。何らかの要因で破滅が訪れない限り、この調子でいくと500年後あたりの人類はかなり統合された種族になっているはずだ。太古のアフリカで始まったばかり人類のように、人々は黒人とも、白人とも、黄色人ともつかないような外見をしているはずだ。しかも6万年前と違ってこの人たちは文明の遺物の恩恵にあずかるので、原始人類がアフリカで経たような苦難は起こらない。次はもっとうまくやるだろう。
 
 こういう想像をいろいろしていると、自分の存在や人生や個人の幸福などを超えて、生きることそのもののダイナミズムを感じる。
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